その匂い、めくりめくる感触が好き。

本が好きです。読書が好きです。紙の匂い、ページをめくる感触...読む行為自体が大好きです...

『 絶歌 』 − なにも響かない歌

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少し前になるが『 絶歌 』を読んだ。
一度読んだ後、気になる箇所だけ咀嚼するように繰り返し読んでみた。なぜか消化不良を起こしているように、胸につかえる不快感が残る。

まるでストーリーテラーのように

文章について忌憚なくいわせてもらえば、文体が未定着の状態で「2人の人間が書いたのだろうか?」という疑問が湧くほど、その箇所によっては言葉の調子、思考まで分断している。
二人の人物が書いているような感じがした。
自分の中に起きたことを余分な修飾ぬきに表現していると思える箇所もあり、そこでは読みながら自然に涙してしまった。一方事件内容を語る部分では文体は一変し、あのおぞましい“赤文字”の手紙を思い浮かべてしまうタッチ(筆致)も存在する。

あなたはこれから神父になる。
そして僕はこれから、精神鑑定でも、医療少年院で受けたカウンセリングでも、ついに誰にも打ち明けることができず、
二十年以上ものあいだ心の金庫に仕舞い込んできた自らの“原罪”ともいえる体験を、あなたに語ろうと思う。

(『絶歌』44~45ページ )

 

まるでテレビや映画の冒頭部分に登場するサスペンス・ホラーのストーリーテラーの語り口だ。

雨上がりのタンク山の美しさは壮絶だった。雨を啜って湿り気を帯びたセピア色の腐葉土が、雲間から降り注ぐ陽の光のシャワーをそこかしこに弾き散らし、辺り一面、小粒のダイヤを鏤めたように輝いて、僕の網膜を愛撫した。

(『絶歌』29ページ)

 

少し気障で鼻につく表現は、文章の細部にいたるまで腐心している著者の姿が浮かんでくる。
元少年Aにとって、聖地であったタンク山、向畑ノ池、入角ノ池がいかに神々しく神聖な場所であったかを語る語り口は、彼の文章というよりも高山文彦 著『「少年A」14歳の肖像』の影響を大きく受けているようだ。
高山氏の著書は、少年Aが事件に至るまでのバックグラウンドを追体験しながら書かれている部分もある。元少年Aは『「少年A」14歳の肖像』をさらに追体験し、追憶を最大限に美化し独自のスパイスを加えながら焼き直しているのだろう。

 

釈然としない部分 − 家族背景

釈然としないのは、本書に書いてある父母の様子が今まで頭にあった家族像と対極だったことだ。特に既存の少年Aに関する本『「少年A」14歳の肖像』、被害者の父親が執筆した『淳』でのAの母親像との相違が引っかかる。

 

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僕は「事件」と名の付くものは、どんな事件であっても、人が想像する以上に「超極私的」なことだと捉えている。
事件のさなか、母親の顔がよぎったことなど一瞬たりともなかった。須磨警察署で自白する直前になって、初めて母親のことを思い出した。
あの事件は、どこまでもどこまでも、僕が「超極私的」にやったことだ。
母親はいっさい関係なかった。

(『絶歌』151ページ )

 

文章から察すると、母親をかばっているようにすら受け取れる。
同様に父親も、あり余るほどの愛情をそそいだ様子が本書には綴られている。
家族に受け入れられ、何の問題もなかったのであれば、なぜあのような無惨な行動ができたのか?
被害者遺族が出版した本の中でのあの言葉は、共感能力が欠損しているような発言だ。
自分の勝手な想像だが、実際は家に帰ってもAの居場所がなかったのではないか?
たとえ彼にネクロフィリアのような性的倒錯があったとしても、健全な「家族」という受け皿があれば、事件を未然に防げたのではないだろうか?

 

「難儀なことやなぁ。子供の顔ぐらい見たりいな」
Aさんは、妻がまだ淳の顔を見ていないことを聞いて、妻に向かって、そんなことを言ったようでした。
淳の遺体の状態と、妻の精神状態を考えれば、絶対に口からは出ないはずの言葉でした。

( 土師守 著『淳』 86ページ  )

 


少年Aの育ってきた環境を、文藝春秋の判決文で読んで改めて考えさせられたものだ。
「幼稚園にいって恥をかかないよう」
「生活習慣、能力をきっちりさせるよう」
「人に後ろ指をさされないよう」
「親の言うことをきき、親に従順であること」
「小さい子を苛めないこと」
「苛められたらやりかえすこと」
これらを念頭に、「幼稚園や小学校に行く前に子供にきっちり教育した」とAの母親は語っている。両親(おもに母親)が決めた教育方針をモットーに、幼い子供をビシバシしつけたそうだ。
就学前の子供に“しつけ”という名目の“親の一方的な考え”をギュウギュウに押し込め、できなければ容赦なく叱ったらしい。 医療少年院では、Aの「家庭における親密体験の乏しさ」を考慮した上での治療体制が組まれたともいわれている。

 

『絶歌』最大の失敗は?

最も本書が消化不良だと感じるのが、A自身の中のもう一つの人格について語られていないことだ。「人を殺したい」と蠢(うごめ)く、もう一方の人格を自ら黙従していたことについて何ひとつ言及していない。

 

「すべてのものに優劣はない。善悪もない。尊重すべきものはなにもない。これを『等価思想』と呼んでいる」
… 中略 …
さらにエクソシストファシズムを混ぜ合わせてつくったのではないかと思われる「エクソファシズム」という別の「思想」についても語った。それは「自分以外の人間は野菜と同じなのだから切っても潰しても構わない。だれも悲しむことはない」というもの

… 後略
高山文彦 著『「少年A」14歳の肖像』 69ページより )

 

ヒトラーの『我が闘争』を愛読して共感したというA。その頃、彼の心の中でヒトラーに影響を受けた偏った思考が確かに存在していた。
彼は、心の闇の部分を嘘いつわりなく書かなければならなかった…被害者を殺害するに至るまでの心境とその時の状況のことだ。ご遺族の反対を押し切ってまで出版する決断をしたのならば、絶対不可欠な部分だ。

 
殺人者である自身を、ガンジーゲバラなどの英雄と同等の位置に置こうとまでしている軽忽(きょうこつ)ともとれる文章の数々は、本書を購入するに至った人たちを自責の念に駆り立てる一因になるかもしれない。
こういったことを講釈然と書く行為こそ、人々の怒りを逆撫でする要素以外の何ものでもない。

 

僕はふたつの動機から被害者に手紙を書き続けた。
まずひとつは、純粋に贖罪の気持ちを伝えるためだ。
-  中略  -
もうひとつは、「この一年間は、手を抜かずにしっかり生き切ることができただろうか?」と、自分に問いかけ、一年分の自分の生き方を棚卸しするために、被害者の方への手紙を書く側面もある。

(『絶歌』 279~280ページ )

 

随所に素直な気持ちとも受け取れる部分もある。しかし、肝心なご遺族に対する「謝罪とは何か?」について語っている箇所がすんなりと入ってこない、先に述べた悦に入っている文章が邪魔をして彼の真摯な表現すら受容できなくしているのだ。

 

或るエピソードがある。
彼は、医療少年院にいる時に一体の像を作った。あまりの出来映えに教官たちが
「すごいね、Aくん。この作品で被害者や遺族たちに慰謝料を払えるよ。」
と言ってくれたそうだ。

 

「先生たちは甘い。あれだけのことをやった僕を社会が許すわけがない。僕の作品なんて、お金を出して買う人はいませんよ」
 社会が僕を許さない--。それは、Aの口から繰り返し発せられた言葉だった。

( ブック・アサヒ・コム より )

book.asahi.com

 

Aは、社会が自分を許してはくれないということをしっかり自覚していた。
今になってなぜ本心を綴るでもなく、自分の立ち位置を忘れてしまったような本を書いたのだろうか?

『「少年A」14歳の肖像』の著者 高山文彦氏の評価

『「少年A」14歳の肖像』の著者 高山文彦氏は

いつかきっと、この空の下に生きる彼に会いに行くという。そして、なぜあの事件を起こしたのかについて、当時にさかのぼり、学校や家族の真実を含めてうそ偽りを許さない極私的ドキュメントを書かせたいという。
 それを読んだとして、私たちはきっとあの犯行を理解できないし、理解したくないだろう。それどころか、許されざる人生を生きぬくことを彼に課すだろう。そのことを一番よく知っているのは、A自身だ。
ブック・アサヒ・コム より)

と述べていた。


高山氏は、『絶歌』についてインタビューに答えている。

やはり本書はまだ出版されるべきではなかったということです。より正確に言えば、私はこの程度の内省や分析しかできていない段階で手記を出させた出版社の責任は重大だと思うし、遺族の了解を取らなかったこと以前の“編集者の不在”に怒りすら覚えますね。

www.news-postseven.com

 

 『絶歌』は、多くの人たちが指摘するように、本書を世に出した時の巷の反応を想像しての「舌禍」からのタイトルだろうか。莫迦げた「言葉遊び」で人々の気を引き、弄ぶ幼稚な戦術に出たなどとは思いたくはない。
あの恐ろしい夜「スタンド・バイ・ミー」を口ずさみながら、中学校の門に自転車を走らせたAの中のもう一つの人格を、「自分自身の中で完全に終わらせ、封印した」という意味での『絶歌』であると信じていたかった。しかし本書を読んだ後ですっかり覆されてしまった。

私は、もうこの本に何も求めるものはないし、もう開くこともないだろう。
“絶読”にしよう…そう心に誓った。

 

 

「少年A」14歳の肖像 (新潮文庫)

「少年A」14歳の肖像 (新潮文庫)

 

 

淳