その匂い、めくりめくる感触が好き。

本が好きです。読書が好きです。紙の匂い、ページをめくる感触...読む行為自体が大好きです...

又吉直樹 『火花』

f:id:TwelveEightAngel:20150807235342j:plain

 

こちらのブログは、お久しぶりの更新であります。


『火花』
だいぶ前に読了したのだが、なんやかやとあってなかなか感想を書くことができなかった。
ようやく、時間を置いて本書に向き合った。
読んだすぐ後と、しばらく時を置いてからでは微妙に違ってくるものだ、感じ方とか文章の持つ意味…とか。

 今どきの芸人の「あるある」がちりばめられていたのは、予想通りとしても、
ここまでに熱いのかぁ~、芸人って!普段でも息抜きするヒマなんてないぢゃん !!
などと感心することしきりだった。
「あるある」というのは、たとえば先輩後輩の上下関係のことも入るが、この『火花』という小説は“上下関係”、“師弟関係”が大きなポイントにもなっている。

又吉さん初の書き下ろし小説なわけだが、まず読み始めてすぐ「ん?」て感じになるのは予想はしていた。
「ん?」というのは「書き慣れていないかな感」のことだ。
まだ、硬いというか滑らかでないなと思いながら読み進めたが、それもほどなく解消されていた。
主人公の若手芸人 徳永は、性格と会話のテンポとで又吉さんを思い浮かべずにはいられない。
神谷先輩と徳永の会話がとにかく面白いし無条件で笑えるのだが、先輩の「お笑い一筋」がゆえの支離滅裂さぶりが、ある意味怖かったりする。
手の込んだ会話のセンスに笑ってしまっても、そこにはどこか切ない空気感が漂っている。
それ以前に、神谷先輩のコンビ名「あほんだら」は、卑怯だ、猾すぎる。これだけでクスクス笑ってしまったではないか!
一方、徳永のコンビはスパークス。実際の芸人でいえば、まぁ…ピースみたいなものだろうか。

漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。
… 中略
つまりは賢い、には出来ひんくて、本物の阿呆と自分は真っ当であると信じている阿呆によってのみ実現できるもんやねん


(『火花』16頁 より)

ぶっ飛んだ、無手勝流な哲学には恐れ入ってしまった。根っからのバカになれ!ということだ。
こんな人いたら、マジですごいだろう…
そう思いつつも、今のテレビやラジオ、ネットなどには受け入れられない人であるところの寂しさも見えてくる。
いにしえの “漫才ブーム” の時代に巷で受け入れられた人たちが、神谷先輩が語る“本物の阿呆”だったのだと今、思えてくる。
公園での「太鼓の太鼓のお兄さん!」も鬼気迫ってくる。神谷の神がかり的部分を象徴しているシーンだ。
息をのむ緊張感の後に、箍(たが)が外れたようにクスッと笑ってしまう。
なぜか、この部分を読みながら、自然にじわっと目が熱くなってきたのには、自分でも戸惑ったりもした。

徳永が崇めに崇めた、神谷の立ち位置の変化がいい。
先輩は帰する所、徳永という人間だけのために舞台に立っていたのだろう。
芥川賞選考委員をつとめた山田詠美の文藝新人賞受賞作『ベッドタイムアイズ』の主人公キムとマリア姐さんの立ち位置のことを思い出さずにいられなかった。山田氏の方がもっとトリッキーではあったけれど。

神谷先輩が驚くべき行動にでるラストは、容赦なく鋭く突き刺さしてくるところだ。
「旧きよき時代のお笑いは、とっくに終焉を迎えている」ことを今さらながら痛いほど感じつつ、お笑いブームの“あの頃”を懐古させられる。自然にノスタルジーに包まれる小説だ。

 

 

 

火花

火花

 

 

 

ベッドタイムアイズ (河出文庫)

ベッドタイムアイズ (河出文庫)